『シン・仮面ライダー』内容予想 庵野秀明の描く現代の仮面ライダーとは?

映画

2021年4月、「仮面ライダー生誕50周年企画作品」として、映画『シン・仮面ライダー』の制作が発表されました。

脚本・監督を庵野秀明が務めるということで、いったいどのような内容になるのか注目される本作。

この記事では、公開された『シン・仮面ライダー』のPVや、評論家の見解を参考にしながら、庵野秀明の『シン・仮面ライダー』がどのような内容になりそうか予想していきます。

スポンサーリンク

「庵野秀明流」の『仮面ライダー』はどんな内容になる?

脚本・監督を務める庵野秀明は、この企画に携わることになった経緯について、次のように語っています。

 50年前、当時の小学生男子のほとんどが仮面ライダーという等身大ヒーローに憧れ熱中しました。自分もその一人でした。50年前にテレビ番組から受けた多大な恩恵を、50年後に映画作品という形で少しでも恩返しをしたいという想いから本企画を始めました。

引用元:シン・仮面ライダー公式サイト

オリジナル映像を知らなくても楽しめるエンターテインメント作品を目指し、頑張ります引用元:シン・仮面ライダー公式サイト

という発言もあることから、『シン・仮面ライダー』は、初代の『仮面ライダー』とは一味違った「庵野秀明流」のアレンジが加えられた作品になりそうです。

スポンサーリンク

仮面ライダーは「元祖エヴァンゲリオン」?

『シン・仮面ライダー』について、庵野秀明は、石ノ森章太郎先生と東映生田スタジオが描いていたエポックメイキングな仮面の世界を現代に置き換えた作品引用元:シン・仮面ライダー公式サイトを目指したいとコメントしています。

このコメントに注目する岡田斗司夫によれば、初代の仮面ライダーは、いわば「元祖エヴァンゲリオン」のような存在なのだそう。

これは、石ノ森章太郎の描いた仮面ライダーが「改造人間」であるという設定があるためです。

仮面ライダーは、もともとふつうの人間なのですが、作中で「ショッカー」という悪の組織によって改造手術を施され、異形の怪物のような姿に変えられてしまった過去をもっています。

もう人間ではなく、社会に居場所がなくなってしまった存在なのに、それでも仮面ライダーは社会を守るため「ショッカー」との闘いに身を投じます。

このような孤独なヒーロー像こそが、放送当時の視聴者たちが憧れた仮面ライダーの「かっこよさ」なのです。

『仮面ライダー』の昭和的な「かっこよさ」

岡田斗司夫は、『仮面ライダー』の背後にあるこうした意識をさして「昭和の共同体思想」というキーワードをあげています。

この意識は『仮面ライダー』のエンディングテーマ曲の歌詞からも感じとられるものです。

荒野をわたる風 ひょうひょうと
ひとり行く ひとり行く
仮面ライダー
悲しみを 噛みしめて
ひとり ひとり 斗う
されどわが友 わがふるさと
ひとりでも ひとりでも
護る 護る 俺は 仮面ライダー
(作詞=田中守、作曲=菊池俊輔「ロンリー仮面ライダー」より)

この歌詞のなかで重要なのは「されどわが友 わがふるさと」という部分です。

ここには、自分にとってはもはや居場所がない社会のために、それでも闘おうとする仮面ライダーの意識があらわれています。

こうした意識は、「ポスト・エヴァ」や「ゼロ年代」といったキーワードで括られる作品に潜む意識とは対照的なものです。

はたしてそれが手放しにかっこいい態度なのかはともかくとして、これが現代ではあまり重視されなくなってきた「かっこよさ」であることはたしかでしょう。

なぜいま庵野秀明が仮面ライダーの「かっこよさ」を描くのか

制作発表時の情報から察するに、おそらく『シン・仮面ライダー』でも、旧作のこういった「かっこよさ」を踏まえた物語が展開されるだろうと予想できます。

その一方で、庵野秀明がエポックメイキングな仮面の世界を現代に置き換えた作品引用元:シン・仮面ライダー公式サイトという言い方をしていることから、『シン・仮面ライダー』が仮面ライダーらしい「かっこよさ」を踏襲しただけのリメイクで終わることはなさそうです。

実際、会見の際に仮面ライダー1号とショッカーの戦いになるのかを聞かれた白倉プロデューサーは、初代の仮面ライダーをベースにしているということは1号だったり、ショッカーだったりをベースにしている。ただ、はたして、そういう名前のものなのかも含めてシークレットという含みのある回答をしています。

それでは、庵野秀明が描く『シン・仮面ライダー』はいったいどのようなものになるのでしょうか。

「ポスト・エヴァ」や「ゼロ年代」作品が描いてきた特別な「力」

『仮面ライダー』を「現代に置き換えた作品」の内容について予想するには、昭和から時代を経た現代の社会状況がどのように捉えられているかを見つめなおす必要があります。

そもそも、現代の社会におけるさまざまな課題は、私たちひとりひとりが個人でできる範囲の努力によって解決するものばかりではなくなっています。

「ポスト・エヴァ」や「ゼロ年代」といったキーワードで括られるアニメや特撮でも繰り返し描かれてきた、ロボット・変身ヒーロー・魔法といったモチーフは、物語のなかに描かれる課題をいわばひと足跳びに解決するための便利で強力な「力」の象徴でした。

『仮面ライダー』も、「改造人間」になって授かった「力」を携えて、基本的にひとりだけで社会の脅威と闘う物語の源流のような存在です。

現代社会に「変身ヒーロー」はいない

ところが、現実世界に生きる私たちは、必ずしもそういった特別な「力」に恵まれた人たちばかりではありません。

『仮面ライダー』では、もともと人間としてのライダー自身が「天才科学者」かつ「スポーツ万能」だったという人物設定があります。

そのため、仮面ライダーはそもそも社会的に強い立場にある人物だったはずであり、だからこそ、社会のためにできることをしなければならないという信念を自然と体現できているのだと考えられます。

しかし、多くの人が自分にそなわった能力や資質の限界を意識せざるをえない現代社会では、たまたま特別な能力や資質に恵まれた人が、その偶然に頼って闘っていく物語には共感しづらいものです。

『シン・仮面ライダー』=「仮面ライダーのない世界をつくる」物語?

実際、庵野秀明が描く物語は、こうした現代人の無力感に向きあい続けてきた側面があります。その例のひとつが『シン・エヴァンゲリオン』です。

シン・エヴァでは、社会的に無力な存在である子どもたちが、「エヴァンゲリオン」という大きな「力」の助けを借りながら、他者とのあいだで承認や責任を取りもつ物語が描かれてきました。

けれど、「エヴァンゲリオン」に象徴されるような「力」というのは、私たちの暮らす現実世界のなかには実在しないのがふつうであり、私たちが社会のなかで生きていくうえでは、そういった実体のない「力」に頼ることはできません。

実際に『シン・エヴァンゲリオン』がそういう解釈のできる結末を迎えたことから考えると、『シン・仮面ライダー』でも、人びとが「変身ヒーロー」としての特別な「力」に頼らなくなることが鍵になるような物語が展開されるかもしれません。

『シン・仮面ライダー』は特別な「力」に頼らない「群像劇」に?

もうひとつのありえそうな内容として、『シン・仮面ライダー』は、仮面ライダーを中心にしつつ、彼を取りまく人びとの思いが交錯するような「群像劇」になりそうという予想ができます。

仮面ライダーはあくまで孤独なバイク乗りであり、ひとりの「力」で孤独に闘う姿が「かっこいい」存在でした。

一方で、立ち向かうべき課題が複雑化した現代では、ひとりの「力」だけを頼りにして、たまたま「力」をそなえたその人だけに犠牲を強いながら進展する物語は、昔ほどは効力をもたなくなっています。

このあたりの認識を反映した庵野秀明作品が『シン・ゴジラ』でした。

『シン・ゴジラ』では、さまざまな立場の人物が登場し、それぞれの立ち回りを演じながら、ゴジラの襲来に対応するようすが描かれています。

重要な要素として、『シン・ゴジラ』はいわば「群像劇」のような物語であり、特別な「力」をひとりだけで担うような登場人物は出てきません。

近年の庵野秀明作品の雰囲気を踏まえるならば、『シン・仮面ライダー』においても、ライダーよりむしろ彼を取りまく他の登場人物にフォーカスするシーンが丁寧に描かれるのではないでしょうか。

むすび

この記事では『シン・仮面ライダー』について、仮面ライダーとしての「力」をキーワードにしつつ、どのような内容になりそうかを予想してきました。

『シン・仮面ライダー』では、人びとがそうした「力」だけに頼らない結末を模索する物語が描かれそうというのが、ここでのひとまずの予想です。

本当にこういう方向性の作品ができてくるか、あるいはまったく違った内容になるのか。新しい仮面ライダーに出会える2023年3月がいまから待ちきれませんね。

コメント