シン・エヴァンゲリオンのマリは何者?行動の動機、イスカリオテのマリア考察!コミック版では?

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3月8日よりシン・エヴァンゲリオン劇場版が公開され大ヒットを記録し、初期からのファンの評判も上々のようです。

今回はシン・エヴァンゲリオンのマリは何者?行動の動機、イスカリオテのマリア、コミック版ではどうなのか?についてを考察していきたいと思います。

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シン・エヴァンゲリオン劇場版でのマリとは何者か?を考察

シン・エヴァンゲリオン劇場版2作目の「破」でマリというキャラクターについて考察していきます。

マリは初めて本格的に登場し、シンジと初めての接触の時には初対面のように振る舞いましたが、シンジを「ネルフのワンコくん」と呼んでおり、シンジについて知っている事を匂わせています。

このシーンでの有名な話として、これまでシンジの聞いていたS-DATはチャプター26までしかありませんでしたが、彼女とぶつかった直後にS-DATが初めて27を示した事があります。

マリが出現したことによって新たなチャプターに進んだことは、マリというキャラクターが永久的に続いていたループを断ち切る存在であることを示していると考えられます。

マリが劇場版で演じる役割とは?

マリは劇場版「破」ではシンジに手を差し伸べ、第十使徒によって荒廃した世界と綾波のエヴァが使徒に捕食される場面を見せ、「Q」では覚醒した13号機に乗ったシンジに手を差し伸べてエントリープラグを引き抜いています。

そしてシン・エヴァンゲリオンでは虚構の世界に取り残されたシンジに手を差し伸べ書き換えられた新しい世界へと手を引きました。

マリというキャラクターは新劇場版では常にシンジに手を差し伸べ、閉ざされた状況から新しい世界や景色へと引っ張っていく役割を果たしています。

新劇場版の中心はマリ?

「序」の内容がTVシリーズの流れを踏襲していたのは、劇中で言われたようにエヴァンゲリオンの世界が永遠にループしていることを示すためで、シンジを始めとした運命を仕組まれた子どもたちはループ世界の中でしか生きることのできない存在と考えられます。

この考察を踏まえると、マリがシンジに対して固執していることや、その行動から、マリがループに介入しているのはシンジをこのループから開放するためなののではないかと考えられます。

そう考えると新劇場版では、ループに入り込んだマリが物語を動かしていって、シンジを救出していく物語、その中心人物とも言えます。

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シン・エヴァンゲリオンのコミック版でのマリからの考察

シン・エヴァンゲリオンのシリーズのコミック版最終巻に収録された「夏色のエデン」にマリは登場しています。

マリというキャラクターの背景は新劇場版では殆ど描かれず、唯一「Q」での冬月がシンジに見せたユイの写真にマリが写り込んでいて、謎とされていました。

それを解明するのが「夏色のエデン」で、この物語ではマリは2年飛び級していて16歳のときユイと同じ大学に進学しています。

コミックから読み解けるマリの行動の動機とは?

マリがユイに別れを告げてイギリスへと留学をする際に、マリがユイへの好意を打ち明けた事があり、マリのかけているメガネをくれた元々の持ち主はユイで、形見でもあると言うこと。

ユイにもらったそのメガネは新劇場版の中でずっと身につけていて、ガイウスの槍をシンジへと届けるシーンでは、マリが「人類はここまで来たよユイさん」との独白をしています。

これらのことからユイへの強い思いを伺うことができ、そのためマリがこの物語のループに介入した動機はユイのためだったと考えることができます。

主題歌はマリの心情を歌っている?

「夏色のエデン」を読んでマリのユイへの思いを考えると、シン・エヴァンゲリオンの主題歌「ONE LAST KISS」の歌いだしの歌詞「初めてのルーブルはなんてことはなかったわ、私だけのモナリザ、もうとっくに出会っていたから」

これがマリがイギリス留学中にヨーロッパのルーブル美術館を訪れた際に「モナリザ」つまりユイとはもうとっくに出会っていたと推測できます。

歌い終わりの歌詞「i love you more than you’ll ever know」夏色のエデンでの情景に重なっていて、主題歌はマリの心情を歌っていて、主人公とも言える存在だと考えられます。

シン・エヴァンゲリオンでマリがイスカリオテのマリアと呼ばれる理由を考察!

劇中でマリはイスカリオテのマリアと呼ばれたことについても考えてみると、これはマリとユイとの関係性からの呼称と考えることができます。

マリはユイへの思いをずっと持ち続けており、ユイが命懸けで守ろうとした息子のシンジに対して、ユイと同じように守り、ユイの願いを実現しようとしていると考えられます。

ユイの願いとは息子の成長を見守る母親としての願いと、シンジという息子が幸せに生きられる世界を作っていくという研究者としてのものです。

匂いをかぐシーンにも重要な意味が?

新劇場版4作の中でマリがシンジの匂いを嗅ぐというシーンが3回あり、「破」の出会いのときに匂いを嗅いでLCLの匂いがすると言うシーンが有りました。

劇中でコックピットを満たすLCLという液体は羊水を表しているとの考察がされていて、この時点のシンジがまだまだ親離れできていない子供であるということが暗喩されていると考えられます。

シン・エヴァンゲリオンの中でも2回匂いを嗅いでいるシーンがありますが、このときにはどちらもシンジが成長したとを認めるようなセリフで、マリが子供の成長を見守る母親の役割を果たしているとが推察されます。

なぜマリはイスカリオテのマリアと呼ばたのか?

イスカリオテのマリアの呼び名の、イスカリオテは裏切り者を示すユダを、マリアは聖母マリアもしくは、イエス・キリストに寄り添ったマグダラのマリアのことだと考察できます。

ユイの行動は常にゲンドウとシンジのためでありましたが、その一方マリはゲンドウとは敵対関係にあって、その点でマリはユイを裏切っていると言え、イスカリオテ=ユダと言えます。

しかしシンジとの関係で見ると母親のようでも寄り添うパートナーのようでもあり、マリは彼に寄り添う聖母マリアないしマグダラのマリア的な役割を果たしています。

物語の中でのマリというキャラクターをを端的に表しているのが、イスカリオテのマリアとの名称だと言えます。

シン・エヴァンゲリオンの相補性というテーマが考察のカギ

ここまでの考察から本作のラストでシンジが手を引いて駆け出すのがマリでなくてはならなかったのかを考えていきます。

映画ラストでマリはシンジをエヴァンゲリオンの外の世界へと連れ出し、シンジのDSSチョーカーを外すと、自分の役割を全うした満足感と達成感に溢れた表情を見せました。

シンジの成長を見届けて、彼を新しい世界へと連れ出したところで、マリは役割は全て終えたのだと思われます。

シン・エヴァンゲリオンに隠されたテーマは相補性という関係

そして今作のラストで、今度はシンジがこれまでとは逆にマリの手を引いていき、それはユイの代理としてシンジを見守ってきたマリを役割から開放したと言えます。

シン・エヴァンゲリオンの劇中で、シンジが望んだのは相補性のある世界だと語られていて、相補性とは他人同士がお互いに支え合い補完し合いながら生きていく人間の性質のことです。


引用元:エヴァンゲリオン公式twitter

マリがシンジのエヴァの呪縛を解いて、そして最後にはシンジがマリのユイという呪縛を解くことは、2人が共に支え合う相補性のある世界の表現するためで、ラストでシンジが手を引くのがマリだったのだと考えられるのです。

シン・エヴァンゲリオンでのマリに対する考察は以上になります、ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

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